【商店街編】
第23話「雪解けのクリスタル」
本来は廃校編で卒業のはずだったのだが、現場のスケジュールが厳しくなり急遽もう一本書くことに。
23~25話のラスト3本の大まかな流れは横谷さんが作成していたので、それをベースに着手。
必要な要素は既に織り込まれていたのでプロットにはせず、そのまま初稿に入った。
私の中で流れは完全に見えていたので大きな修正もなく、初稿からほぼ完成形に近かった。
最終回までに決着をつけておかねばならないことは由乃らの生き方以外にもある。
ずっと観光協会と対置する存在だった商店会の今後である。
こればかりは実在する町をモデルにしている以上、慎重にならざるを得ない。が、ここまで来て聞こえのいい言葉でお茶を濁してしまってはこの作品を作った意味がない。堀川社長も菊池専務も当事者として覚悟を決めている様子だった。
どう考えても従来通りの駅前商店街は消える運命にあるだろう。野毛が立ち上げた廃校カフェの方がまだ流行りそうな気配がある。時代の潮流に対してあくまで抗うのか、それとも潔く受け容れるのか。会長である千登勢の決断が鍵を握っている。
そんな商店街に、ある企業が出店をしたいと申し出てくる。
このアイディアは誰が言い出したんだったか。私だったような気がする。これからみんなで一致団結して祭りに取り組もうというこの段階で、ちょっと皮肉な気持ちが芽生えたのだ。廃れきった商店街に救いの糸が突如垂れてきたとき、みんな浮き足立ってしまうんじゃないか。あんなに無気力だった人たちまで賛成に回り、反対派を数の論理で押し切ろうとするのでは、と。そしてそれこそ、異文化共生を謳う竜の民謡においては戒められるべきことではないのか、と。横谷さんも同調圧力が嫌いな人間なので、同じことを考えていたと思う。
町おこしとは何なのか。最終回を待たずにここで結論を出してしまってもいいとさえ私は思った。それくらい重要な回だ。
話数の都合でこの23話だけ一話完結の体裁となっている。そして私にとって自信作でもある。
前後編なら蕨矢集落編だが、一話完結の作品から選べと言われたら間違いなく私はこの商店街編を挙げる。
私が脚本を手掛ける際、最も重視するのは「流れの美しさ」である。村上春樹も同じことを言っていて、作品を一編の音楽に見立てるのだ。小説の場合は主に文章のリズムということになるだろうが、脚本においては構成の美しさだ。的確なコード進行、転調やフィルインのタイミング、サビの盛り上がりとエピローグの余韻。それらを常に脚本に置き換えて意識している。
その意味において商店街編はまさに私の理想とする美しさとなった。
では恒例のエア実況と共に最後の解説といこう。
今回は特殊オープニング。尺に収まりきらなかったのだろう。いつもすみません監督。
冒頭の怪しい三人は計三回出てくる。例の出店計画の下見かと思わせておいて……というミスリード。
龍の唄の舞台稽古。
着ぐるみ凛々ちゃんがとても可愛い。がおー。
隣の富蔵市は初出だっけ。
間野山に店を出してもいいという奇特な社長が登場。
前回の閉校式がここで活きている。こんな風に縁は広がっていくのだ。
まさかパステル・デ・ナタが日本のアニメに出てくるなんて、とポルトガル人が感激したらしい。
実際に私が本場ベレンのジェロニモス修道院で食べて感激し、いつか使おうと思っていたのだ。
いわゆるエッグタルトと同じようだが、クッキー生地ではなくサクサクのパイ生地であるところが特徴。
日本では代々木上原に恐らく唯一の専門店がある。
ちなみにこの「アゾレス」という社名はポルトガル西方沖のアゾレス諸島から採っている(マニアック情報)。
この島ももう一度訪れたい絶景の地である。
「洋菓子屋の話をよく和菓子屋に持って来られたもんだね」
いったんは皮肉を言う千登勢だが、商店街全体のためにと空き店舗探しを請け負ってくれる。
この人は由乃らと度々対立してきたが、ちゃんと筋は通った人物なのだ。
ここで由乃が今後のことについて悩みを吐露する。最終回に向けての積み上げである。
実際、制作陣の間でもギリギリまで由乃の帰結については意見が割れていた。
早苗の「命短し呑め呑め乙女」は映画『生きる』を何となくパロってみたのだが、元の歌はさらに昔、大正時代だそうだ(笑)。早苗、何で知ってる?
空き店舗の店主に掛け合う千登勢。だがなかなか決まらない。
完全に店子だけで成り立っているゴールデン街のようなところなら新陳代謝も働くが、ここが店舗兼住宅の地方商店街の難しいところである。一階に知らない人が出入りするのは心理的に抵抗があるのだ。これまでの話数でも度々描いている問題だ。
二階と入口が違うおもちゃ屋の潮崎なら、と当たってみるも、カスタードクリームを炊く匂いが嫌だと言って拒否する。その程度で、と思うかも知れないが、当事者にとっては大きな問題だろう。町にとっていい話でも、個人にとってそうとは限らないのだ。
ちなみに今回登場した工藤、潮崎、秋山は西武ライオンズ黄金時代のメンバーから採用。誰にも伝わらないけどいいの(笑)。
出店話にめっちゃ食い付いてくるエリカ、可愛い。
若い子にとってはそりゃ大ニュースだろう。私も近所にレンタルビデオ屋が出来たときは感激したものだ。
で、ここからの情報の出し方に注目。
まずアンジェリカの店で「持ち主も不在の店がまだ一軒だけ残っている」「元八百屋の人」と言っておき、一方の千登勢はタクシーで誰かに会いに行く。その人物はどうやら「秋山さん」というらしい。
続いて丑松らが実際の店舗を下見するところへ移る。先ほどの「秋山さん」がこの店舗の持ち主であることがセリフで自然に分かる。
いずれ丑松らが説得に行くので、千登勢のそれは省いた。同じことを二度やる必要はない。
また、かつて人に店を貸していたこと、すぐに潰れてしまったことにも触れておく。
「だったら逆に好都合じゃない」「うん、また貸してくれるかも知れないよね」
潰れた理由はあくまで店子にあり、そこは重要視していないしおりら。「人に貸したことがある」という実績の方が大きいのだ。
が、いざ行ってみると、けんもほろろな対応。
比較的話の分かる人が多いこの物語において、頑なと言っていいほどの態度を取る秋山。
「せっかくいい話なのに、何だコイツ」という感情を視聴者に与え、由乃らの不満と共感させる。秋山を嫌な奴に見せておくのは計算からだが、後々判明する事実を考えてもこれくらいの反応を示すのは自然だと思う。
野毛の廃校カフェの進展も見せておく。
後の大激論のためには不可欠な情報だ。
例の三人が今度は廃校をうろついている。これも「商店街に見切りをつけたんじゃないか」というミスリードだ。
誰にとってもいい話に決まってるのに、ちっとも話が進まないことに苛立つエリカ。
その気持ちはよく分かる。田舎あるある。
そしていよいよ怒濤の激論Bパートへ。
Bパート。
建国祭編でもそうだが、私は集団の議論を描くのが割と好きだ。
今回は大まかに「商店街存続派」「諦観派」「廃校発展派」といったグループがある。
作画も大変だったと思うが、地方商店街のありようの一つとして描けたかなと思う。
あの千登勢がとうとう商店街を閉じることを考え始めたのは衝撃だ。
やはり今まで通りのやり方ではどう考えても無理なのである。
「ちょっと、何でこんな話になるんですか?そもそもはベレン洋菓子店が来てくれればみんなにとっていい話よね、ってそれだけだったはずよね?」
ブティックの布部さんの言葉はまさにそうだ。人気店の出店で盛り上がってきたというのに、まさか商店会解散の話になるなんて誰が想像しただろう。
ここで野毛が挑戦的なことを言い出す。
いくら観光協会が頑張っても、商店街そのものに魅力がなければ人は来ない。
まさに真理である。逆に言えば、全国で成功している商店街はそれ自体が魅力的なのだ。
それにしても、こんなに野毛のキャラが育つなんて制作陣の誰も予想していなかった。
こういうことがあるから物語作りは面白い。
さあ、ここから例の秋山さんへの一斉砲火が始まる。
みんなで町おこしを盛り上げてきたはずなのに、いつの間にか同調圧力と化している。
由乃の表情が違和感を物語っている。
ここで龍の唄の稽古シーンをカットバックさせようと思ったのは一瞬の閃きからだった。
これによってどちらの状況も分かりやすくなる。
さあ、ここからの切り返しが真骨頂だ。
あれだけ頑固者でみんなに迷惑を掛けている風だった秋山さんが一転、実は誰より先に町のことを考えていたことが判明する。
視聴者も彼らと同じように驚いてくれたら、私にとってこれ以上ない成果である。
丑松からも説得するよう促される由乃。
ここでついに由乃が国王として開眼する。
「私は、嫌です!」
「これじゃ、龍の民話と同じじゃないですか……お互いを分かり合おうとしてない」
「町の人みんなが望んでこその町おこしじゃないんですか?」
「多数決で物事が進められて、それが誰かの犠牲の上に成り立つものなんだったら……それはもう町おこしじゃありません、ただの開発です!」
ただの開発です――このセリフが浮かんだ瞬間、物語のテーマが見えた気がした。いや、見えたからこそこのセリフが浮かんだのだ。
町おこしと開発は違う。それは当事者らの意思が介在するかどうかだ。
ここで初めて秋山の過去が明らかになる。
彼は誰よりも先に、町のために力になろうとした。なのに恩を仇で返された。どれだけ傷付いたことだろう。
さらに潮崎の言うように、商店街仲間からは「テナント収入を当て込んで失敗したんだろう」くらいにしか思われていなかったのだ。
「よそ者を受け容れた結果がこのザマだ」、書いていて泣きそうになった。
紆余曲折の末、ベレン出店の話はなかったことにしようと落ち着きかけた時、あの潮崎が翻意する。
「匂いがどうとかそんな下らない理由で……恥ずかしいや、すみません」
どうして翻意するのが潮崎なのか。秋山さん本人ではダメなのかという意見も出たことがある。
秋山さんがまた人を信じて店を貸すことを決めるのも、それはそれでシンプルにいい話だと思う。
だが、それだと結局みんなの同調圧力に屈したようにもとれてしまう。龍の唄の重要なテーマだけに、それは避けたい。
そこで一回ひねりを加えてみようと考えたわけだ。
最初はしょうもない理由で拒否していた潮崎が、秋山の事情を知ったことにより考えを変える。この過程こそが重要なのだ。まあ先述した通り、当事者にとって匂いは切実な問題ではあるが、少なくとも彼は主体的に決断した。みんながこの町を少しでも良くしようと考えた結果ともいえよう。
結局、最後まで考えを変えなかった秋山。彼に対し、由乃は律儀に謝罪する。
一方的なお願いを押し付けてすみませんでした、と。
この言動は監督の意見なのだが、確かにこれだけでも由乃の成長が窺われる。また秋山も決して排除されるべき存在ではないということを示す意味もある。
さーて、いよいよ由乃の集大成とも言えるセリフが。
「どうしてあんたは、縁もゆかりもない間野山のためにそこまで頑張れるんだい?」
「それは……間野山が、よそ者の私を受け容れてくれたからです」
この流れで言うからこそ引き立つのであり、実はこれで由乃も秋山さんも互いに救われているのである。個人的にはとても美しいシーンだと思っている。エピローグ、彼が縁側でパステル・デ・ナタをモグモグしてるシーンも余韻があって素敵だ。
また丑松と千登勢の50年に及ぶわだかまりもようやく氷解。
「(仮)」の文字を消す演出が粋である。
そんなわけでサブタイトルは「雪解けのクリスタル」にした。これしかない。
これにて私の脚本担当回は最後である。
あと二話はご存知の通り、横谷さんが感動的にまとめてくれた。
ともあれ、私としてはもう十分にやり切ったつもりだ。
町おこしとは一体何なのか。由乃らと一緒に長い旅をしてきて、私も自分なりの答えを見つけられた気がする。そしてこれからもそのテーマについて考え続けていこうと思う。