第8話「イカロスにならねば」
尺の都合でコルベのシーンをカットした。ごめんねコルベさん。
そのために実は大事な要素が抜けてしまっていた。どろりと垂れるロウソクである。これを見てヨレンタはイカロスの逸話を思い出し、決意に至るわけで、私の大チョンボだ。
ところが映像では思わぬ形でフォローされていた。井戸から上がってきたヨレンタの前に現れるピャスト伯が、原作では持っていなかった燭台を持っているのである。ロウソクどろりも見事に寄りで描かれていた。絵コンテ・演出の渡邉こと乃さんの手によるものだろう。ありがとうございます。
このように、コンテや演出に救われることはよくある。映像は総合芸術だということを思い起こさせる出来事だった。
今回の切りどころは少し悩んだかも知れない。
若きピャスト伯と教授の過去編。最後までやるには尺が足りない。二段階で歳を取っているうえに教授が現ピャスト伯に似ていたりして分かりにくくなる恐れもあった。
そこで今回は青年ピャストが教授に激励されるところでいったん切ることにした。ドラマ的にもそこがベストだ。次の話数は壮年ピャストから始まる。
第9話「きっとそれが、何かを知るということだ」
この話数、好きなんだよなあ。ピャスト伯が好きなのかも知れない。信じて進んできた道がそもそも誤りだったら?それを認めることの恐ろしさがひしひしと伝わった。こんな話を20代前半で描けるなんて、魚豊先生って人生何周目なんだろう。
ピャスト役のふくまつ進紗さん、教授役の星野充昭さんの芝居も素晴らしかった。
構成的に特にいじったりはしていない。今回で原作3巻分ぴったり消化。いいペースだ。
第10話「知」
ドラマ的にはいったん落ち着き、次の波乱への種蒔きの意味合いが強い10話。ダレないか心配だったが、映像で観てみるとやっぱりいつも通り面白かった。ここまで来るとキャラクターが動いて喋ってるだけで面白い、愛着が湧くというのはこういうことか。
一話として見た場合、地動説が完成したというグッドニュースの後にはバッドニュースが来なければならない。それが司教の異端審問強化宣言であり、久々のノヴァク再登場である。原作だと話の途中で小コマだし全く切りどころとは思えないのだが、これまでの積み上げが効いているためノヴァクが出てきただけでもはや強烈な惹きとして機能するのである。
また二人の若き異端審問官には名前がなかったため、こちらで命名させてもらった。レフとシモン。後に重要な役割を果たす二人が名無しというのも不憫だからという理由もあるが、何よりも声優さんのためである。審問官Aとレフとではやはり気持ちの入り方が違うのではないだろうか。履歴書の実績にもなるし。
第11話「血」
いよいよ第2章も佳境に。
そこまで意識したわけではないが、前回に続いてサブタイトルがトリプルミーニングで揃ったのは美しいなと。アイキャッチにも工夫があった。さすが監督。
ついにノヴァクがバデーニとオクジーの前に現れる。既に声バレしているので原作ほどの驚きはないものの、その分確かにサスペンスは効いたなと思う。ここからの緊張感はもう半端ない。魚豊先生の構成力には舌を巻くばかりである。
第12話「俺は、地動説を信仰してる」
地動説を守るために死を覚悟したオクジーに、バデーニが終油の秘蹟の儀式を施すシーン。作中一、二を争う名場面だ。ここは何度観ても泣いてしまう。
オクジーとの戦闘で無様な死に方をする騎士団員がいる。さっき勇ましく宣言していた男である。これがもう他人とは思えず、名前を付けることにした。ユゼフ。ごくありふれた名前だが、ふさわしい。
そのユゼフとノヴァクの長めの回想が戦闘の最中に入るのだが、あまり長いとテンポが削がれてしまう。そこで、「ブチ切れてる」ノヴァクの怒りを先にやっておくことにした。追い詰められるバデーニとオクジーの間に挟むことで緊迫感を増す効果もある。
回想の残りは「死ぬ覚悟」についての話題のみとなり、オクジーの覚悟が引き立つ造りになっている。
なお、スタジオの制作ラインの都合で分割2クールになるかも知れない、という話が初期に一瞬だけ出たことがあった。
え、オクジーとノヴァクが対峙したまま半年空いちゃうの?とビクビクしたが、杞憂に終わった。