第3話「僕は、地動説を信じてます」
衝撃の第3話。
恐らくほとんどの人がこの展開に度肝を抜かれたと思う。魚豊先生、恐るべし。
ちょうどここで原作一巻分。2話で少し急いで3話でじっくり魅せる。尺計算は上手くいった。
ちなみに脚本では演出指示は基本的に書かない。ト書きはあくまで情景描写であって、映像にならないものは書いても意味がない。「ここでたっぷり尺を取って余韻を」などは絵コンテや演出の仕事である。とはいえ「ここは余韻が欲しいな」という場面もある。そんな時、私は敢えて「映像に起こせないト書き」を入れたりする。
服毒したラファウが壁にもたれ、静かにその命を終える場面。私はここで「ラファウはもう、動かない。」というト書きを入れた。優れたコンテマンや演出家ならその意図を汲み取ってくれる。情緒的なト書きであり、多用すべきではないが、ここぞという時には使える手法だ。
第4話「この地球(ほし)は、天国なんかよりも美しい」
ここから第2章。
全体構成から考えると、ここも駆け足で行かないとちょっと厳しい。だが章の始めということもあり、情報は盛りだくさんだ。オクジーの「天国最高、天国最高」の長台詞も絶対削るわけにはいかないし(さすがに全て入れ込むのは無理だったが)、代闘士というユニークな職業もしっかり描かないとオクジーとグラスのキャラが立ってこない。グラスもまた饒舌で尺を食うし、まあ大変である。ほぼ原作通りにやってみたらペラ89枚もあって完全にアウト。やむを得ず、大胆に削る作業を行っていった。例えば、報酬が減ってションボリする冒頭のくだりはカット。文盲であるはずのオクジーが書類を読んでいるのも設定的に矛盾するので。
また単純に削るだけではなく、原作の場面を入れ替えて流れをスムーズにする工夫もしている。例えば、酒場で上級市民に絡まれる→屋上での「あ、ありえない」に直結させるなど。金持ちが貧民をいたぶるシーンをカットしつつ、同業者が語るグラスの過去話を失望したグラスの背中に重ねることで、わずかだが尺を縮めることが出来た。こんな風に、あたかもミニ四駆を肉抜きで極限まで軽量化するように、かといって骨は削らぬように、最終的にはペラ70枚に収めた。許容範囲だろう。
第5話「私が死んでもこの世界は続く」
密かな人気キャラのグラスさん、残念ながらわずか2回で退場。それでもオクジーに、そして視聴者に強烈な印象を残した。
橋の崩壊シーン、ネックレスの紐を指でブチッとちぎるよりはせっかく佩刀しているのだからサーベルで一閃する方が理に適っていると思ってそう書いたのだが、映像では原作のままになっていた。現場でそう判断したのなら異存はない。
構成もほぼ原作通りだが、バデーニの回想は後回しにしてオクジーとの運命的な邂逅で締めにした。辛うじてバトンが繋がったという安堵感と、一筋縄ではいかなそうなバデーニの雰囲気。オンエア中、「いつもいいところで終わる」といった感想をよく見掛けた。嬉しい限りである。
第6話「世界を、動かせ」
ここでぴったり原作二巻分。全8巻なので、いいペースで来ている。
バデーニの回想を後回しにしたのは尺の都合だけではない。まずオクジーとの会話の中で彼の人となりを見せることで、視聴者に興味を持ってもらう。「この修道士、何で自分の利害にばかりこだわるんだろう」と。そのうえであの凄絶な過去を語る方が印象に残ると思ったからだ。オープニング明けは回想を入れやすいという理由もある。
ちなみに私は自分がシリーズ構成の時は必ずアフレコ現場に立ち会うことにしている。脚本データは絵コンテの作業が入ることでいったん手書き文字になる。それを基にアフレコ台本を作成するため、少なからず誤字脱字が発生するのである。シナリオ部門の責任者として最後まで見届ける必要がある。また基本的には監督、演出家、音響監督にお任せするものの、言い回しなどが意図していたニュアンスと異なる場合は発言することもある。
ただし、この現場に限ってはその機会はほとんどなかった。声優陣はみな百戦錬磨のベテランばかり。イケメンボイスに囲まれ、耳が幸せな数ヶ月だった。
第7話「真理のためなら」
この話数の主人公は言うまでもなくヨレンタである。彼女の登場から始めたい。そのため、原作から構成を入れ替えている。簡単に言うと、時系列に沿って再構成した。
【原作13話】
山で石箱の処置について語り合うバデーニとオクジー(夜)→翌日、街に出て掲示板で回答者を募る→夕方、回答を張っている少女(ヨレンタ)に気付く
【原作14話】
時制が少し遡り、ヨレンタの虐げられた日常→父との会話(夜)
【原作15話】後日、コルベの仕打ち→掲示板の問題に対する回答→バデーニとオクジーに見つかる
《アニメ7話》
ヨレンタの虐げられた日常→山で石箱の処置について語り合うバデーニとオクジー(夜)→父との会話(夜)→翌日、街に出て掲示板で回答者を募るバデーニとオクジー→コルベの仕打ち→掲示板の問題に対する回答→バデーニとオクジーに見つかる
ページ数の限られる原作では話数またぎが発生するため、まずヨレンタを登場させて次の話数で少し遡ってその日常を描いている。アニメだとヨレンタの登場からバデーニらとの出会いまでの原作3話分をまとめて再構成できる。時系列のもたつきが解消される分、尺も少し短くなった。観ている分にはほとんどの人が気付かないと思うが、こうやって「隠し包丁」を入れることで食べやすく(観やすく)するのがシリーズ構成の仕事である。
さて、この話数で最も頭を悩ませたのはヨレンタの父親について。
あれは音の出ない漫画だからこそ成立する、叙述トリックのようなものである。私も原作を読んでまんまと驚かされた。が、アニメでそのままやってもツダケンさんのイケボで一瞬でバレてしまう。回避する最も簡単な方法は、あのシーンごとばっさりカットすることだ。が、ヨレンタの現状や葛藤を描くうえで不可欠なシーンだ。手袋の前振りにもなっている。
いっそ手紙にしてヨレンタが読み上げるようにしようかとも思ったが、どうも作為的だ。これまでもミステリで色んなアイディアを考案してきた私でも、こればかりはお手上げだった。
悩んだ末に監督に相談したところ、「そのままでいいんじゃないですか?」とあっさりした答え。プロデューサー陣も同様だった。これは私にとって目から鱗というか、なるほど、敢えて伏せないことで「サスペンスを効かせる」方へ舵を切ればいいんだ、と。バデーニらがヨレンタに近付いていくにつれて「ああ、そっちに行っちゃ危険だ」と視聴者もハラハラする。「志村、後ろ後ろ!」方式である。
ヨレンタ役の仁見紗綾さん。アフレコ時はほぼ新人だった。いきなり津田さんらベテラン陣に囲まれ、さぞ緊張しただろう。実際、声が微かに震えていたように思う。それが却ってヨレンタの現状にマッチしていた。いざ落ち着いたら新人とは思えないくらい芝居が達者で、今後が楽しみな声優さんである。