チ。ー地球の運動についてー

第26回手塚治虫文化賞のマンガ大賞ほか、数々の賞を席巻。若き天才作家・魚豊が世に放つ、地動説を証明することに自らの信念と命を懸けた者たちの物語。この素晴らしい原作のアニメ化においてシリーズ構成と全話脚本を担当できたことは光栄の極みである。スタッフもキャストも精鋭揃い、間違いなく後世に残る作品といえよう。

2年前のある日、電車で何気なくメールを開くと久しぶりにマッドハウスから連絡が。え?『チ。』ってあのチ?しかもシリーズ構成!?思わず電車で「よっしゃー!」と叫んでしまった。
清水健一監督から私へ、直々のご指名だという。
監督とは6年ほど前に『ALL OUT!!』でご一緒して以来、特に接点もなかった。しかも私はサブライターだったし。一体どういうことだ?

ドッキリなのではとビクビクしながらマッドハウスへ。『消滅都市』以来だから4年ぶりか。
清水監督以外は初対面の人ばかりだった。ごく淡々と今後の流れが協議され、次の打ち合わせまでに私が全体構成案を提出することに。
そのまま会議が終わりそうだったので、恐る恐る尋ねてみた。
「あの、今回僕を起用して下さった理由とかって、何かあるんでしょうか……?」
すると清水監督はこう仰った。
「入江さんのホンって映像が目に浮かぶんですよ。ト書きが的確だし。実写もやってるからなんでしょうね。自分が次に監督やる時は一緒にやりたいなって思ってたんです」
なんと……そこまで評価して頂いていたとは……!これはもう全力でお返しせねば。

とはいえ、血反吐を吐きながら空っぽになるまでアイディアを絞り出して……といった類いの努力ではない。オリジナルならともかく、こんなに完成された原作があるのだ。シリーズ構成として私のやるべきことは、原作の魅力と熱量を損ねることなくキャストやスタッフの力を借りてそれらを増幅させること。「再構築」ではなくあくまで「増幅」。余計な思想や独り善がりの解釈など加えるべきではない。提供すべきは職人としての技術だ。

シリーズ構成とは

「シリーズ構成って何?」とよく訊かれることがあるので、これを機に説明しておこう。
サブライターを束ねるメインライター、シナリオ部門のリーダーともいえるが、それは付随的な役割である。
『チ。』のように完結済みの原作ものを例に採ると、一話ごとに的確に原作を区切ることから始まる。
単純に一話につき原作3本分、といった区切り方ではない。各話数ごとに見せ場があり、カタルシスがあり、続きが気になるような惹きで区切るのが腕の見せ所だ。そのうえで尺が足りない場合は適宜カットするし、逆にショートしそうならオリジナル要素を足す場合もある。削除も加筆も意図があってのことなのだ。

映像作品は時間の芸術である。原作通りにやれるならそれに越したことはないが、尺に収まらなければ話にならない。まだ映像になっていない作品の尺を読み、全体の設計図を示すのがシリーズ構成の仕事といえる。各話数の執筆はそこからで、手が足りない場合はサブライターを呼んで各話を担当してもらうことになる。多忙で初回と最終回くらいしか書かないシリーズ構成もいるらしいが、私は出来るなら一人で全話書きたいタイプだ。尺の配分に融通が利き、作品のトーンも統一され、クオリティコントロールしやすくなる。一方、オリジナルならば複数の個性やアイディアが集結するメリットの方が大きいかも知れない。

その意味で『チ。』は非常にやりやすかった。経験上、全8巻というボリュームは2クールのアニメとして最適。テンポ重視の作品なら10巻くらいがベストの場合もあるが、今回の作品は台詞をしっかり聞かせないと流れてしまう恐れがある。
結果的に、全体構成はほぼ初稿のままでOKが出た。

また、「熱くなりすぎない」ようにも留意した。原作の台詞一つひとつは熱いが、大袈裟にやると却って視聴者は醒めてしまう。原作のように抑制されたトーンを意識した。清水監督もそういう作風であり、今回の作品にビシッと嵌まったといえる。牛尾憲輔氏の静謐な音楽も非常に大きな役割を果たしたと思う。

第1話「『地動説』、とでも呼ぼうか」

ここからは各話の簡単な振り返りを。
あくまでシリーズ構成として自分がどんな仕事をしたかの備忘録であり、公式の見解ではないことを明記しておく。
ネタバレ全開なので、全話視聴してから読まれることをお薦めする。

まず、尺のことで一番悩んだのがこの第1話だったと思う。
私としてはサブタイトル通り、初回はここで締める以外あり得ないと考えていた。あの台詞とともにタイトルが浮かび上がってくる、原作を読んで自分が最も高揚した場面でもあるからだ。
が、そのままやるとどうしても尺がショートしてしまう。本来であればペラ(200字詰め原稿用紙)80枚は必要なところが、60枚しかないのだ。
どうすべきか。友人コハンスキ君との会話を膨らませたり出来ないか。いや絶対無理だしナンセンスだ――。

などと考えていたところ、監督は「これくらいで丁度いいです」と言う。
監督の理論によると、普通のアニメの会話は「間」がなさ過ぎるという。テンポはいいが、ともすれば台詞が流れてしまう。実際の我々の会話では、相手が発した言葉を咀嚼するのにワンテンポ「間」が発生している。それが自然な会話の表現において重要だと監督は言うのだ。特に今回のように会話劇中心で難解な台詞が多い作品だとなおさらである。そこは私の読みと合致した。
結果的に、映画のような重厚な雰囲気のオープニング(歩くラファウと街並みの描写)と黒地にスクロールするエンドクレジットもあって初回にふさわしい幕開けになったと思う。

また、漫画だと文字で理解できても音で聞いた場合に分かりにくくなる用語を整理する必要があった。代表的なものが「C教」である。もちろん「キリスト教」と明言するわけにもいかず、ならばと「教会」で統一することにした。これは違和感なく受け入れられたのでないだろうか。
それから、ラファウがポトツキの実子ではなく養子であること。この関係は重要。原作だと「義子」と書いて「むすこ」とルビを振っていたが、これも映像では表現不可能。なのでラファウがフベルトを迎えに行く際、門番に名乗る台詞を少し改変することで対応した。
「ポトツキの使いです」→「ポトツキの義理の息子ラファウです」
原作既読組も未読組も違和感なく視聴できたのなら、それは私の仕事が機能したことの証左でもある。

第2話「今から、地球を動かす」

オープニング映像はこの話数が初出。初めてオンエアで観たとき、感激と高揚で泣きそうになった。これから出てくるであろう場面の数々もサカナクションの『怪獣』も最高。話が進むにつれて少しずつ映像が変化するところも『チ。』ならではだと思う。普段なら何話目かでオープニングは飛ばしたりするのだが、この作品に限っては一度もなかった。

さて、1話とは逆に2話は少しページ数が多くなってしまった。本来であれば「ラファウの決意」→「ノヴァクの恐ろしさ」で締めるのがベストなのだが、何しろ3話ではあの衝撃の場面をじっくり描く必要があり、なおかつ第2章への入りも惹きとして不可欠だ。そのためには2話で出来るだけ話を進めておかねばならない。かといって削れる要素もそんなにない。本来であればラファウが炎を踏み消すシーンなんかはもう少し余韻がほしいところだが、ちょっと監督に負担を掛けてしまったかなあと反省している。

もう一つ、原作の区切りとは違うところで終わるので(原作3話に少し踏み込んでいる)、惹きをどうにか作り出さなければならない。そこで、原作ではサラッとラファウの独り言で終わっているところを疑問形にすることで対応した。
「しかし義父さんは過剰に天文を拒絶するわりに、この家には天文の資料が多くて助かる」→「それにしても……義父さんはあれほど天文を毛嫌いしているのに、どうしてこの家にはこんなに資料があるんだろう?」

ぬるっと終わるよりはずっといいだろう。この情報は次回でも重要になってくるし。なお言うまでもなく、改変箇所は原作サイドからも了承を得ている。

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