白夜行

累計200万部突破。言わずと知れた東野圭吾氏の代表作。

<ストーリー>
19年前の密室殺人。
容疑者の娘、被害者の息子。
粉々に砕けたパズルのピースがはまる時、刑事は何を見るのか――?

密室となった廃ビルで、質屋の店主が殺された。決定的な証拠がないまま、事件は被疑者死亡によって一応の解決をみる。
しかし、担当刑事の笹垣(船越英一郎)だけは腑に落ちない。容疑者の娘で、子供とは思えない艶やかさを放つ少女・雪穂と、被害者の息子で、どこか暗い目をした物静かな少年・亮司の姿がいつまでも目蓋の奥を離れないのだ。

やがて成長した雪穂(堀北真希)と亮司(高良健吾)。全く面識のないはずの二人の周辺で、不可解な事件が続発する。刑事退職後も真相を追い続ける笹垣自身も命を狙われ、それらの事件が、あるひとつの驚愕の真実を示していることに思い至るのであった――19年前に結ばれた確かな絆の存在に。

私にとって最大の出世作といえるこの作品。
以前からドラマ版が大好きでDVD-BOXはもちろんサントラまで買い込むほどだった。
小説は後から読み、その大胆な構成に度肝を抜かれた。
原作とドラマ版はいわばコインの裏表のようなもの。
どちらが良い悪いではなく、ドラマ版の思い切った選択は正しいと思った。
連ドラで原作と同じ作り(雪穂と亮司のやり取りを一切見せない)はまず無理だからだ。

自分もこんな作品に関われたらいつ死んでも悔いはないのにと思っていた。
しかしドラマ化も舞台化もされてしまった今、望みが叶う可能性はほぼゼロだった。

そんな時、千載一遇のチャンスが訪れたのである。

以前一緒に仕事をしたフリーのプロデューサー・橋口さんが声を掛けてきたのだ。
「実は映画化の企画が進んでるんだけどさ……」

彼とは数年前ある原作小説を企画開発していた。
脚本も第四稿まで進んでいたのだが、資金難により企画は頓挫。
本来ならその映画がデビュー作になっていたはずだった。

そんなこともあって彼なりに私に対し申し訳なさを感じていたのだろう。
文字通りチャンスを与えてくれたのだ。

実は既に深川栄洋監督と別の脚本家とでホン作りは進行していた。
直しもかなりの回数に上り、制作陣の間でも「まあ大体こんな感じだろう」というところまでは来ていたという。
しかし、何かが足りない。
このままクランクインするわけにはいかない、というのが主に配給側の意見だった。

要するに行き詰まっていたのである。
「じゃあこの辺で新しい血を入れますか」と誰かが提案し、それぞれのPが心当たりの脚本家にオファーを掛けることになった。
これが経緯である。

恐らく私が数年前のままであれば橋口Pが声を掛けてくることはなかっただろう。
当時と違うのは、私が『RISE UP』で映画デビューを果たしていたことである。
彼にとっては埋め合わせの意味もあるだろうが、それだけはない。
実績があるからこそ私を選んだ。でないと自信を持って推薦など出来ないからだ。

つくづく思う。
この世界において、1と0との間には100ほどの開きがあるのだと。
最初の扉を開くのがどれだけ大変で価値のあることか。
逆に一度開けば次々と新たな扉は現れる。仕事とは、実績とはそういうものだ。
その意味でもあの時私を推してくれた中島監督には感謝してもしきれない。

とにかく、全てのタイミングが神懸かり的に揃っていた。
たまたま私が『白夜行』が大好きでドラマ版も原作もしっかり頭に入っていたこと。
別ルートで映画デビューを果たしていたこと。
映画版の企画が迷走しかけていたこと。

「君がヤル気なら最新のホンを渡すよ。自分の思うように直してみて。ただ申し訳ないけど時間があまりないんだ。大丈夫?やれる?」

橋口Pが指定してきた猶予はわずか5日間。映画でこのスケジュールはまず有り得ない。
しかし私はこれを3日で直した。
この状況でこの作品に適応できるライターは自分しかいないという自負があった。
私にとってはむしろ仏陀の垂らした蜘蛛の糸だったのである。

結果、私の直したバージョンは制作陣に概ね好評だった。
ホリプロの井上Pは「入江さんのホンを読んでこの企画で初めて泣きました」とまで言ってくれた。
ちなみに彼とは以来、テレビの仕事でよくご一緒している。

そういうわけでいつの間にか私がメインライターになっていた。

制作陣の間で決め事としていたのは、「雪穂と亮司を劇中で一切会わせない」ということだった。
文字通り、物理的に会わせない。
既に映像化されたドラマ版と同じことをやっても仕方ない。
ならば原作に忠実にやろう、と。逆に2時間の尺であればこそ可能な芸当だともいえる。

ただそれをどうやって表現するのか。
「会う」ことはいくらでも見せられるが、「会わない」ことをどうやって画で表現するのか。
まるで悪魔の証明のような話である。
原作と同じように描いてもいいのだが、それだと観客は二人が裏で自由自在に会っていたことをいくらでも想像できてしまう。むしろ原作はそこがウリだ。
想像にはいくら足掻いても敵わないわけで、だったら映像化する意味もなくなってしまう。
そこでいわば観客の想像力に「フタをする」必要があったのである。
ここで閃いたアイディアが私のこの映画における最大の功績だったかも知れない。

あの「二人だけの通信手段」により、二人が物理的に会ってはいないことを間接的に表現できた
さらにそれが子供時代の遊びから繋がっていることで切なさも増している。
そんな風にしか生きられなかった二人の、堅く脆い絆――。

ラストシーンの少年亮司から少女雪穂への「あ・そ・ぼ」は監督もいたく気に入ったらしい。

「これでやっとこの作品に対する『まなざし』が分かった気がします」

こうして映画は無事クランクインしたのだった。

深川監督とは実は同い年である。
私と同じく昭和好きで、劇中至るところに時事ネタを盛り込んだ。
「クイズダービーではらたいらが竹下景子に負けた」とかは私。
「自粛しなよ」「ほとんどビョーキ」とかは監督。
(これ、ベルリンでどう翻訳されたのだろうか・笑)

数々の実績が示す通り、彼は恐ろしいほど才能溢れる人物である。
映画版『白夜行』の素晴らしさの一つとして挙げられるのが、懲りに凝った美術。
また銀残しというフィルム現像技術を用いて(かつての市川崑のような)古めかしい画の質感を出したりもしている。しかも字幕が縦書き。あれには痺れた。

ホン打ちが進むにつれ商業的な観点の議論も出てくる。
「この映画はどこで泣かせるのか」といった話になった時、監督が毅然と言い放った言葉が印象的だった。

「映画は泣かせるための装置ではありません」

心底、映画が好きで、文字通り映画に人生を捧げている男の言葉だ。
特にこの作品には並々ならぬ思い入れがあったようで、演出に際して亮司の心情なんかを想像する度に心が沈み、毎日嘔吐しながら現場に臨んでいたという。クランクアップの頃にはげっそり痩せていた。

それはきっと雪穂役の堀北真希、亮司役の高良健吾もそうだっただろう。
現場は異常なほど重苦しい雰囲気だった。
船越英一郎さんも2時間ドラマの帝王ぶりを封印し、こんなにも年若い監督の演出に応え、素晴らしい枯れた演技を見せてくれた。

本当に、スタッフキャスト全ての人達が一流だったと自信を持って言える。
そんな作品に関わることが出来て私はつくづく幸せ者だと思う。

なお本作は第61回ベルリン国際映画祭・パノラマ部門に正式出品された。
世界三大映画祭のあのベルリンである。私も同行したかった(涙)。

キャスト:堀北真希、高良健吾、姜暢雄、緑友利恵、粟田麗、今井悠貴、福本史織、斎藤歩、山下容莉枝、宮川一朗太、小池彩夢、吉満涼太、佐藤寛子、並樹史朗、中村久美、黒部進、田中哲司、戸田恵子、船越英一郎

原作:東野圭吾 脚本:入江信吾、山本あかり
監督・脚本:深川栄洋

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