コラム~『相棒』撮影見学

デビュー直前、2005年秋の日記を掲載。役者名等の表記は当時のままにしています。

午前中はスタジオ撮影。
お馴染みの小料理屋『花の里』のシーン。
右京、薫、美和子(鈴木砂羽)、たまき(高樹沙耶)の四人が勢揃いの光景はやはり圧巻。

彼らは誰一人として現場に台本を持ってきていない。
台詞が完全に頭に入っているのだ。
そしてその台詞は、まさしく僕が書いたもの。
自分の紡いだ言葉が、今彼らの身体を通して命を吹き込まれている。
脚本家としてこれ以上の感動はない。
さらに、セットから小道具から専門用語から、見るもの聞くもの全てが新鮮。
たった数行の台本の描写からここまで凝った小道具を作ってくれるなんて。
「映像は総合芸術」と言われるが、まさにその通り。
一人ひとりがプロの仕事をし、一つのものを作る。
自分もその一翼を担っている。改めて身の引き締まる思いがした。

撮影後、高樹沙耶さんと鈴木砂羽さんに挨拶をした。
高樹さんはほんわかした癒し系の雰囲気があり、基本的に男臭いこのドラマにおいて、さながら一服の清涼剤のようだ。
鈴木さんは普段から明るく元気で、現場のムードメーカーとなっている。
ちょうど先日、誕生日を迎えたということで、スタッフがバースデーケーキを用意しサプライズ計画が遂行された。
驚きつつも喜んで頂けたようだ。

午後からは都内某所にてロケ。
以前から見てみたかった、いわゆる殺害現場のシーン。
うわー、ホントに死んでる(笑)。
鑑識員が動き回ってる。
ちょうど野次馬役としてスタッフがエキストラに呼ばれていた。
内輪のエキストラ、いわゆる「内トラ」というやつだ。

ここで、目を輝かせながらウロウロしていた挙動不審な僕が助監督の目に留まってしまった。
「ちょっと君も来て」
「え?」
後で聞くと、僕を誰かのマネジャーだと勘違いしたらしい。
挨拶していなかった僕がいけないんだが、「入江です」なんて挨拶して回るのも迷惑だろうから遠慮していたのだ。

というわけで、成り行きで僕もエキストラに参加することに。
後ろ姿だけだが、さり気なく横を向いてアピールしておいた(何をだよ)。
ちなみに僕は『ショムニ』のエキストラにも参加したことがあるが、オンエアを見たら豆粒くらいにしか映っていなくて残念だった。今回ははっきり映ったんじゃなかろうか。
期せずして自分の作品に出られて、まさに記念となった。

しばらくして、伊丹刑事(川原和久)と芹沢刑事(山中たかシ)登場。
特に川原さんはどこから見てもまさに刑事そのもの。
思わず「僕が盗みました」と白状しそうになった。
山中さんとは撮影の合間に少し会話をした。めっちゃええ人。

スタッフの中にはきっと鬼のような人がいて、「邪魔だ、どけ!」とか言われるかなと覚悟していたが、全くそんなことはなかった。
普通、書いた本人は現場にノコノコ来るべきではないのだ。
「そんなヒマがあったら一日でも早く新たなホンを仕上げろ」と、僕も現場の人間だったらそう思うだろうからだ。
が、当人にとって初めての経験だということで、スタッフの間にもそっとしておいてやろうという寛大な雰囲気があった。
有り難いことだ。この経験一つひとつがまた新たな創作意欲に繋がるのだから。
というわけで、凝りもせず次の撮影も見学しようと目論む僕であった。


日曜日は一日中、都内某所にてロケ。
ノコノコ厚かましく現場に行くと、既にスタッフが朝早くから準備を始めていた。
お疲れ様です。

何を手伝えるわけでもなく、こうして現場に顔を出している自分が調子に乗っていることは百も承知だ。
が、それすらも今の僕にはプラスに転じるために必要なのだ。
調子に乗ることで、同時に勢いにも乗る。
また、これは僕の持論だが、人に自分を覚えてもらうためには最低三回は会う必要がある。
全て意味があってやっていることだ。

雨男である僕の予想に反し、この日は雲一つない快晴。
何だか知らないが、神様はかなり上機嫌のようだ。
10月とは思えない、真夏日のような暑さと陽射し。
ずっと屋外ロケだったため、撮影が終わる頃には日焼けで肌が真っ赤になっていた。
僕なんかまだ良いが、役者さんは大変だ。
11月下旬という設定の衣装を着なければいけないからだ。
それでも、誰も愚痴一つ言わない。当然ながらプロなんだなあ。

いきなりクライマックスシーンの撮影ということもあり、僕も隅っこで緊張していた。
役者さんの迫真の演技に思わず涙ぐみそうになってしまった。

この暑さの中で汗を拭きつつ頑張っているスタッフの皆さんには頭の下がる思いだ。
彼らは恐ろしいほど手際が良い。
誰一人、無駄な動きをしていないのだ。
美術スタッフは次のシーンのための準備をしているし、それぞれの役割分担も臨機応変に即断していく。
まあ、そうでもしなければこんな過密スケジュールはこなせないのだが。
なんて他人事のように言ってみる。

撮影の終盤に水谷さんとお話をする機会があった。
「どうです?自分の書いたものが形になっていく感覚というのは。不思議なものでしょう?」
「ええ、もう感激で胸が一杯です」
ここでプロデューサーが愉快そうに茶々を入れる。
「ホントに、こんな喋りにくい台詞書くなよと思われたでしょうが、勘弁してやって下さいね」
水谷さんは笑っていたが、急に真顔になって僕にあるお言葉を与えて下さった。
感激のあまりあと少しで死んでしまうくらいの有り難いお言葉である。
ネタに関わりかねないので、公表は放映後にしようと思う。
とにかく、あの人のお言葉はもう一生忘れない。

ロケバスで撮影所に戻ったのは21時過ぎ。
スタッフは14時間以上も働き通しだったことになる。
疲れて眠っている彼らを見て、心の中で誓った。
下手な脚本は書けない。彼らが乗りに乗って仕事が出来るくらいのものを書かねば。
俺は俺で、やるべきことをやろう。俺自身の仕事を。

と言いつつ、今日くらいは自分を祝っても良いかなと思い、居酒屋へ立ち寄る。
もちろん、一人で(笑)。
ビールで体の疲れを洗い流しながら、これまでの長い道のりに思いを馳せた。


初めて脚本を書いてから12年。
この道で生きていこうと決意してから7年。
長かった。実に長かった。
特に去年辺りは最低のズタボロの、ゴミクズ以下の、ミジンコのにぎりっ屁のような人生だったから。
あらゆるものが自分を拒絶しているかのようにさえ思えていた。

己の才能と適性を何百回、疑っただろう。
それでも自分を信じていられたのは強さだろうか。
それとも、挫折を認められない弱さだろうか。

こうしてデビューを迎えてみて、ふと思うことがある。
デビューと童貞を捨てるのは似ている(処女作と言うくらいだし)。
さっさと捨て去りたい一方で、まだどこか純潔でいたい奇妙な青臭さ。
まだ何者にもなりたくないという気持ちとも通底している。

不思議なことだ。
僕は一日も早く何者かになりたかった。
それでもやはり、心の奥底ではまだウロウロしていたかったのかも知れない。
アマチュアとして好き勝手なことを言っている方が楽なのは間違いないからだ。
何の責任も負わずに済む。成功もない代わりに、失敗もない。
そこから一歩を踏み出す勇気が、結局のところその勇気がなかったのだろう。
自分を拒んでいたのは環境ではなく、己自身だったのだ。

今日こうして撮影に同行し、はっきりと感じた。
自分はようやく本当の意味で社会人になれたのだ、と。
社会からの歓迎を望んでいながらも、へそを曲げて忌避していた自分はもう過去の存在だ。
それぞれがプロとして自分の仕事をこなし、一つのものを作り上げる。
その環の中に入れて貰えた。
この歳でやっと僕は社会に根差す感覚を味わったのだ。
もうやめられない。この味を知ってしまった以上は。

途端に世界がまるで違って見えてきた。
これまでのギスギスした感情が霧消していた。
一人でいる時は滅多に見知らぬ人に声など掛けない僕が、気が付けば店長と世間話をしていた。
同時に、彼の人生に思いを馳せていた。
自分の中に、こんな広さがあったのか。

傍から見れば「たかがデビュー」である。
真の困難はこれからだというのは理解しているつもりだ。
しかし、僕にはそれくらい劇的な意味があったのだ。
社会から受け容れられるということ。必要とされるということ。
もう僕は迷わない。やっと己の居場所を見つけたのだから。

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