制作陣の間で決め事としていたのは、「雪穂と亮司を劇中で一切会わせない」ということだった。
文字通り、物理的に会わせない。
既に映像化されたドラマ版と同じことをやっても仕方ない。
ならば原作に忠実にやろう、と。逆に2時間の尺であればこそ可能な芸当だともいえる。

ただそれをどうやって表現するのか。
「会う」ことはいくらでも見せられるが、「会わない」ことをどうやって画で表現するのか。
まるで悪魔の証明のような話である。
原作と同じように描いてもいいのだが、それだと観客は二人が裏で自由自在に会っていたことをいくらでも想像できてしまう。むしろ原作はそこがウリだ。
想像にはいくら足掻いても敵わないわけで、だったら映像化する意味もなくなってしまう。
そこでいわば観客の想像力に「フタをする」必要があったのである。
ここで閃いたアイディアが私のこの映画における最大の功績だったかも知れない。

あの「二人だけの通信手段」により、二人が物理的に会ってはいないことを間接的に表現できた。
さらにそれが子供時代の遊びから繋がっていることで切なさも増している。
そんな風にしか生きられなかった二人の、堅く脆い絆――。

ラストシーンの少年亮司から少女雪穂への「あ・そ・ぼ」は監督もいたく気に入ったらしい。

「これでやっとこの作品に対する『まなざし』が分かった気がします」

こうして映画は無事クランクインしたのだった。