<成立の経緯~私たちがライズアップするまで~>

元々この企画は中島監督がSDPで進めていたものである(当時、彼自身も所属していた)。

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中島良。1983年山梨県出身。
長編自主製作映画『俺たちの世界』で第29回ぴあフィルムフェスティバル(07年)審査員特別賞・エンターテイメント賞・技術賞の3冠を受賞。
同作で第7回ニューヨーク・アジア映画祭においても最優秀新人作品賞を受賞し、バンクーバー国際映画祭・ロッテルダム映画祭・レインダンス映画祭など世界7カ国の映画祭に招待上映される。
今後の活躍が最も注目される若手監督の一人である。

私が出会った当時はまだ25歳という若さだった。
そんな若い監督に映画一本任せようという事務所側も凄いが、それだけの何か――運や引きの強さ、人徳とでも言うべきもの――を既に彼は備えていたように思える。

その中島監督が脚本家を捜すために訪ねたのがシナリオ・センターである。
そこでかつての受講生であり、テレビドラマの実績もある私が紹介されたのだ。
他にも候補者がいたらしいが、最終的に監督は私を選んでくれた。
参考として送ったアマチュア時代の習作を読んだうえでの判断である。

「きっと根底にアツいものがある人だと思って入江さんに決めました」

この時点で既に監督とプロデューサーらとの間でプロットはほぼ出来ていた。
仮タイトルは『SKY BOY CLUB』。
石川県白山市の観光推進、いわゆるご当地映画であるためパラグライダーは必須。
主人公の少年と親友が熱中しているという設定。
そこへ絡んでくるヒロインが、病気により徐々に視力を失っていく設定だった。
ベーチェット病か何かだろう。

要するに原型は固まっていたわけだが、ヒロインの設定にはやや釈然としなかった。
劇中で病気が進行し、最後には完全に失明する。
それでも主人公たちと出会えて良かった、といった締め方である。

だが私はそこで勝負したくはなかった。
失明して悲しいのは当たり前である。そこで泣かせようとするのは違うと思った。

そういうわけでヒロインのルイは初めから失明している設定にした。
ただしそうなったのはほんの一年前。
まだ事実を受け容れられず、点字の勉強もロクにせずわがまま放題という状態。

そんな時に主人公たちと出会い、徐々に事実を受け容れようとしていく。
その成長をこそ描きたかった。
闇に閉ざされていく話ではなく、闇の中に光が差す話を作りたかったのだ。

「盲目の写真家が実在する」と監督から聞いた時、「これだ!」と思った。
ルイは自分の殻を脱ぎ捨て、勇気を以て暗闇から一歩踏み出すのである。
その姿に希望を感じて欲しかった。

一方の主人公・航も己の弱さと向き合い、立ち上がる決意をする。
この頃に『RISE UP』というタイトルを思い付いた。
パラグライダー用語で、離陸時にキャノピーが風をはらんで一気に広がる様を指す。
また「立ち上がる」「抵抗する」という意味もあり、青春映画に相応しいと思った。

こうして新たなプロットが完成した。
ところがここへ来て私にとっての死活問題が発生。
脚本はとあるベテランが執筆することが初めから決まっていたというのだ。
監督も脚本もそろって新人では心許ない、というだけの理由。いわゆる保険である。
この業界の因習にこれまで何度涙を呑んできたことか。
新人にやらせる冒険は避けたいってんなら、いつになったら若手は世に出られるんだ!
またこのパターンかよ、と絶望的だった。

しかし、ここで監督がPに向かって毅然と主張したのである。

「僕は入江さんと仕事したいんです」

思わず嬉し泣きしそうだった。
この侠気。ならば自分は全力で応えるしかない。

監督とは実にウマが合い、キャッチボールのようにポンポンとアイディアが飛び交った。
感性が近いのだろう。
そうしてホン作りも順調に進み、いよいよ準備稿、ロケハンの段階となった。

だがここからは苦難の連続だった。
もっぱら予算の問題である。
予算が少ないということは撮れるシーンも限られるということだ。
またスケジュールにも余裕がなくなり、単純に撮れる量まで減ってしまう。

つまりホンを削らなければならないということだ。
結果的に三分の一も削る羽目になってしまった。ほぼ決定稿の段階で、である。
三分の一といえば120分尺なら80分になってしまう分量だ。
下手をすると物語そのものが崩壊しかねない。さすがに心が折れそうだった。

ホン直しの必要に迫られ、監督と私は急遽ロケハンから帰京しなければならなくなった。
帰りの新幹線は満席。仕方なくデッキに座り込み、膝を突き合わせホン打ちをした。
監督も各方面から突き上げを食らい気が滅入っていたようだが、私は自分に言い聞かせるように何度も繰り返した。

「これは妥協ではありません、戦略です。退くべきは退き、守るべきは守る。とにかく最後に笑えればいいんですよ。ここが正念場です、頑張りましょう!」

そうやって二人で創意工夫を重ね、上野に着く頃にはほぼ直しの案は出来ていた。
あの時の想い出は今でもアツく胸に残っている。
まるで成功目指してネタ合わせしつつ田舎から上京するお笑いコンビのようだった。
青春映画でデビューを果たそうとする私たちこそがまさに青春真っ只中だったのである。

(次項へ続く)